「考えるきっかけの欠如。」
しかし残念ながら、
僕たちのそんな考えとは裏腹に、
国内ではその「考える」という、
人間の持つ可能性を踏みにじるような出来事が起こりました。
それは、2003年12月26日のことです。
国民には、なんら「考える」機会を与えずに、
国家の未来を揺るがすような決定がなされたのです。
僕たちqoonは、その決定の、結果ではなく、不十分な過程に疑問を抱きました。
というのも、決定に際し国民には「考え」、「議論する」機会が与えられなかったからです。
私たちすべての国民には平等に、より良い国家の発展のために大いに考え 、
議論する権利があるべきだ、というのは誤った意見でしょうか?
僕たちは、そうは思いませんでした。
なぜなら、一人一人の考えるという行為の持つ可能性こそが、
よりよい社会を育てると思ったからです。
そこで、僕たちは決して安易な反戦でも、ただのコンテンポラリーアートでもない、
僕たちならではの表現手法を経た、
純粋な、考えるきっかけ、考える場を提供したいと考えました。